自分が持つエネルギーが整ってゆく中で、見える・感じる、世界観は確かに変わってゆく
誰しもがエネルギーを持っている。
人だけではない。
動物も物も、全てがエネルギーを兼ね備えている。
目に見えるから、見えないから
という賛否両論はどうでもいいこと。
気付く人は既に気づいているはず。
人間関係では、人が持つエネルギーを良くも悪くも与え合い受け取り合っている。
僕は思えば幼稚園の頃から、人のエネルギーに圧倒された。
幼稚園に入園するまでは一人で遊んでいても平気なくらい、むしろ楽しめるくらいマイペースだった。
目の前に人がいなくても自然と接しているだけで十分に楽しかった。
近隣にお寺があるが、そのお寺さんで夕方まで一人で遊んでいても楽しかったのは自然のエネルギー(その場の空気、草花、石などなど)戯れていることの方が自分らしかったからだ。
幼稚園に入園すると、そこは自然との戯れではなく、人同士での交流。
僕は年長の年から入園したので(僕が早めに幼稚園に入りたくなかったため)、既に形成されている人間関係に圧倒された。
自然にはない、人から溢れるパワー。
そのパワーについていけず、幼稚園では最初の頃は泣いてばかりで、他の子がいつも面倒を見てくれた。
それを通して人と接する有難さを学ぶと同時に大きな劣等感も生まれた。
「みんなに出来ることが自分には出来ないんだ」
いつもそのことで頭がいっぱいになった。
自信を持って堂々と過ごしている同級生をみては激しく劣等感にかられる。
幼稚園卒園後に小学校に入学したときには、さらにカルチャーショックを受けた。
あまりにも人数が多すぎる。
「泣きたい」
「辛い」
「学校に行きたくない」
「頭がボンヤリする」
誰かに相談すると
「君は敏感すぎるんよー」
「気にしない人になりなさい」
「まだ子供なんだから、楽しみなさい」
とアドバイスを受けるけど、
聞けば聞くほど自分がよく分からなくなってしまったのだ。
自分が自分じゃない。
というか自分て何?!
今迄の自分を変えたいと元気なフリ、強そうな自分を演じ続けたこともありました。
すると余計分からなくなってしまった。
今なら分かりますが、その頃の自分はエネルギーを感じ取っても(受け取る)(受け取る)(受け取る)のオンパレードで、エネルギーの防御、浄化、補充が全く出来ていなかったのです。
人の影響力を良くも悪くも受け取りやすかったということです。
それは社会人になってもずっと続きました。
学生の頃はとても生き辛く感じていましたから、早くおじいちゃんになってゲートボールとかやりたいな、って考えていた頃がありました。
せめて社会人になればきっと自由になれると、小学生の頃はいつもカレンダーの一日一日乗り越えたと印を付けながら大人になる日々を待ちわびていた頃もありました。
しかし、社会人になって自由の身になるも、サラリーマンとして就職してからはまたしても様々なエネルギーを直に受け取りすぎてしまい翻弄される日々が続いたわけです。(長くなりすぎるので、また追々記事に書ければと思います)
パワー、影響力、エネルギー、どんな表現でも同じことですが、この世には間違いなく、自分にとって合う合わないのエネルギーが存在していることは間違いありません。
誰もが、
「この人合わないな」
「気が合うな」
「場所の心地がいい」
「なんか違和感」
等感じたことがあると思います。
それらは全てエネルギー、影響力、パワーから自然に感じ取っているものです。
万人に完璧な正解というものはなく、一人一人感じ方は異なります。
本当は誰しもが自分に何が合うか合わないかというのは分かるものなのですが、日々生きてゆくうえで様々なエネルギーを浴びていき、溜まってしまうと感覚のアンテナが歪み、自分が何を感じているのかが分からなくなってしまうのです。
僕は、人との出会いを通じてエネルギーを改善することの大切さを知りました。
エネルギーを改善することを知らなかったら今の自分は間違いなく今の仕事が出来ていなかったことでしょう。
自分の持つエネルギーは改善してゆくと、
好き、嫌い、合う、合わないがハッキリとしてきます。
それだけでなく、今迄自分を当たり前のように支えてくれている守護者の存在に気づきます。
守護者と書くと、ミステリアスな印象を想像しますが、ご先祖様やご神仏だけでなく、生きている人の中でもあの人と自分は、お互いに支え合っている仲なのだなぁと気付くことが出来るようになり、
「人間関係って色々あるけど素晴らしいもんだ」
「やっぱり自然て素敵だ」
と感覚が戻ってきます。
改善しても、エネルギーをいつも整えておいたほうがいいわけですから、日々自分のエネルギー状態のチェックを行っています。
自分では全てチェックしきるのは無理ですから、人の力もお借りすることは当然のようにあります。
現実的な案件に関してはそれぞれの専門機関のお力をお借りしてますし、エネルギーに関してはお寺や神社の方々のお力をお借りしている。
決して一人では為せません。
やはり一人では生きれないのです。
一人では保てない。
最近出会った素敵なお寺のお坊さまがこのようなことをおっしゃっていました。
「自分の力で願いを叶えるのは限界があります。物事を成就させるのは、自分の最大限の努力と、生きている人の助けと、見えないご守護やご神仏の加護の3つが成り立って初めて成就される。どれが一つ欠けても願いは成就しないんです」
と。
まさにその通りなのだと思います。
自分ひとりで全てをやらなくちゃと思えば、孤独しか生まれません。
適材適所。
得手不得手は誰にでもあります。
見えないエネルギー守護の存在、ご神仏も得手不得手があるわけですから日本は八百万の神々と言われているのでしょうね。
人同士でももっと互いに相互扶助し合える世の中になっていったら素敵ですよね。
誰しもが自分のパワーが整い出すと、見える感じる世界観はグッと変わってくるのです。
それでは今日も最後までお読みくださいましてありがとうございました。