氣持ちの波を乗りこなす
この世の全ての物事には波があります。
氣持ちにも波がある。
それ自体は何ら問題は無いのだけど、
「氣持ちに波があることがダメなんだ」
と解釈されると、問題ではなかったことなのに問題を抱えたことになってしまいます。
「氣持ちにムラがあって当たり前」
「氣持ちに波があって当たり前」
なのです。
それが当たり前であると認識できると、自然に身を委ね、氣の持ち方、価値観が良い意味で変化し出します。
波に逆らおうとすれば、コントロールが効かなくなるのは当然のことなのです。
波には逆らうのでなく、乗りこなすことをオススメしています。
乗りこなすことに慣れてくると、自己肯定感が
自ずとアップ↑します
それでは今日も最後までお読みくださいましてありがとうございました。
カウンセリングは
感受性が強いということ
私のカウンセリングには
「感受性が強くて対人関係の距離感や影響に翻弄されて生きていくのがしんどい」というご相談を抱えてらっしゃる方が多いです。
お気持ちはとてもよく分かります。
私も過去は、
感受性が強いなんていらない!
何も気にならない人間になったほうがいい!
鈍感な方がいい!
と自分を責め続けていました。
ですが、、じつは
感受性が強いのはとても良いことなのです。
しかし、感受性が強いということは、自分にとって良い影響も悪い影響も受け取りやすいということです。
しかも意識してるわけじゃなくて、自然にそういったことが起きてしまっているから、より厄介に感じてしまいますよね。
他人に相談すると
「気にしすぎなんじゃない?」
「もっと気楽に生きればいいんだよ」
とアドバイスを頂けるけど、受け入れられない。
なぜ受け入れられないのか、、、
そうしたいけど、方法が分からないからです。
だからといってその素敵な感受性を無くそうとか、潰すなんてことはしないでください。
人であれば、必ず得手と不得手があるもの。
得手は活かせばいい。
不得手は何かでカバーして補えばいい。
素敵な感受性の活かし方のコツが掴めてくれば、
「あぁ、この感受性があって良かった」
に変わってきます。
感受性が強いのは個性。
その個性、必ず活かせます。
今日も最後までお読みくださいましてありがとうございました。
どうしようもなく焦りに追われるとき
常に余裕な気持ちでいれれば一番良いことですが、なかなかそれを維持し続けることはできません。
原因があって焦る時が生じるということであれば、その原因を対処すればいいので問題解決しやすいです。
しかし、厄介なのは原因不明の「焦り」です。
カウンセリングをしていると、多くの方々が原因不明の「焦り」を経験されているという現実を目の当たりにします。
ちなみに私も「原因不明の焦りを感ずる人」でした。
取り越し苦労のスペシャリストとでもいいましょうか。
まぁ原因不明というと非常におそろしく感じるものですが、人であれば「焦ることもある」という事実を素直に受け入れることが大事です。
焦ってはいけない!!と抑えれば抑える程、気持ちが増大するのは当然のことです。
焦ってもいい
いいのですが、
焦りが過剰に働くと、自分を見失います。
原因不明の焦りというものは、じつは原因不明ではなくて
●他人との比較や情報の影響
●過去の記憶
●まだ訪れてもいない未来の想像
等のパワーに翻弄されてしまったときに生じやすいです。
特に、他人との比較や情報の影響は良くも悪くも強いです。
ネットが普及してからというもの、家にいても常に他人と比較できる環境にあるからです。
家にいて「今日は休もう」と思っても、ネットを見たときにツイッターなどで、「私は今日はバリバリ仕事しています!!」という他人のツイートを見たときに、どう思いますか?
気にしない人もいますが、
「私は今日は休みなのに、この人はバリバリ働いている。。」と罪悪感に苛まれる人も多いです。
「私よりあの人の方が幸せそう」と、根拠なく結論を出してしまうことも落ち込みの原因になっていること多いです。
過剰なる情報摂取を休憩することが大事だと思います。
それでは今日も最後までお読みくださいましてありがとうございました。
「自信」と「慢心」の違い
「自信」とは自分を信じること。
自分を信じるというのはとても大事なことです。
自分を信じるって「特別な人や強い人だけが出来る特権」と思いがちですが、そういうことではありません。
今の自分の気持ちを自分が分かってあげれるかどうかなのだと思います。
喜んでる
楽しんでる
悲しい
怒りがある
好き
嫌い
合う
合わない
心地いい
違和感がある
こういった様々な気持ちを否定することなく「自分が分かっていること」が自分を信じる自信です。(※相手に分かってもらえるかどうかではないのです。先ずは自分の心の中で自分を分かっていること)
対して「慢心」というのは、
自慢していい気になること
驕り高ぶること
です。
慢心は過度になり過ぎれば、自分や周りが見えなくなり道を外れてしまうことがあるわけですから控えたほうがいいですが、
自信は持っていたほうがいいです。
自信がない=自分を信じていません
と断言しているようなものですから、他人を信じやすくなる傾向が強くなるため、今のご時世、他人から騙されてしまう可能性が高くなります。
自信を持つことで、相手の言うことに耳を傾けないという意味ではありません。
相手に耳を傾けることがあっても自分を信じていなければ相手の意識に翻弄されてしまうのです。
自信と慢心て意味合いが似ているようで、全然違うということに過去の私自身も気づいていませんでした。
日本語は言葉が多すぎて本当に混同しますね。
自分のことは信じていたほうがいいのですが、何故自分を信じられなくなってきたかは「過去に人から感情を否定された」「人格を否定された」「失敗という経験により心に傷を受けた」等が深く影響しています。
なので、成功体験を積めば自信がつく、自信を取り戻せると思われがちですが、成功体験を積めば自信を取り戻せるのではなくて、今日からでも実は自信て取り戻せるのですよ。
自信を取り戻すことに特別な資格やテクニックが必要だと思いますか?
難しく考えれば考える程、心というのはワケが分からなくなるものです。
答えはシンプルなのです。
今日も最後までお読みくださいまして本当にありがとうございました。
人の心にタイムラグが発生している。テクニック、専門用語にクタクター。
ネガティブになったとき、弱気になったとき、
「自信を取り戻したい!!」との思いで自己啓発本を購入し、モチベーションを取り戻したり、柔軟な発想を取り戻すことは悪いことではありません。
しかし、自己啓発本のテクニックや専門用語に翻弄されると自分を見失うのは当然です。
「引き寄せの法則ってありますよね?あれ、実践しているのに全然効果がないんですけど、何でだと思います?」
こういった会話を耳にしたことがあります。
「引き寄せってどんなことをしているんですか?」とお聞きすると
「部屋で意識を集中し、潜在意識になりたい私をイメージさせている」とのことでした。
うーん、、、答えは明確です。
イメージすることはイメージトレーニングとしては大事だけども、肝心なアクションが無ければ勝手にイメージされた映像が実写化されることはありません。
「ラーメンを食べたい」
と思ったときに
部屋でずーっと集中してラーメンを食べてるイメージをすれば、そこにいきなりラーメンが出現するでしょうか?
「食べに行く」
「自分で作る」
「家族の誰かに作ってもらう」
何らかのアクションをすればたしかに願いは叶えられます。
ですが以下のスパイラルに陥るとなかなか抜け出せません。
↓
ラーメンを食べる際にどの選択肢がいいんだろう?
「自分では分からない。。」
「運気的に今は不安定と言われたから。怖い。」
「もしも自分が決めることが間違っていたら。。」
「どの方角のラーメン屋さんに行けばいいんだろうか。。」
「自信をつけるセミナーに通ってからラーメンを食べに行こう。うん、きっとそのほうがいい。。」
「美味しくなかったらどうしよう。。」
「せっかく行っても定休日だったらどうしよう。。」
ラーメンを食べることの方法に「正しい」「間違い」はありません。
食べたいラーメンを食べたらいいのです。
「さっきまでは食べたかったんだけど、今はいいや」
と思うのであれば食べなくてもいいのです。
今の時代背景でしょうか。
「成功=失敗」「失敗=成功」この繰り返しをしてゆくのが人生であるにも関わらず、「失敗はいけない」と思い込まさせられているこのイメージ自体を緩和することが大事なのだとつくづく痛感します。
僕も過去にこのスパイラルに何度も陥ったことがあります。
これ、クタクタになるんですよ。
何が正しいのか間違っているのか、自分の道が誤っていたのか、といろんなところに意識が囚われますし、八方塞がりに感じてしまうのです。
「ウォーキングをしたい」と思ったときに
「だが、その前にまずはウォーキングの正しい知識本を買ってから」
となるんじゃなくて今ウォーキングすればいいのです。
ウォーキングの正しい知識本を読み終えた頃には
「歩いた気分」になってしまい、
「ウォーキングは明日からやることにしよう」
に意識が変わってることありませんか?
人の心にタイムラグが発生してしまっている。
人の意識って不思議なもんです。
これからの課題です。
長々とした文章になりましたが、最後までお読みくださいましてありがとうございました。
何を考えているかが分からないと感じる時
「何を悩んでいるのかが分からない」
「何をしていても楽しめない」
こういった気持ちになるとき、不安になります。
早く打破しなければと焦る気持ちにもなります。
ストレスがパンパンに溜まった状態になると、ストレスフルから脳も身体も心もフリーズ(固まる)状態になるのです。
フリーズ状態になる。焦る。不安になる。
だから悪いのではないのです。
人間であればいっぱいいっぱいの状態になれば誰しもそのようになります。
パソコンでフリーズ状態を経験したことありませんか?
そのような時、どうやって対処していますか?
パソコンを叩きますか?
「役立たずのパソコンめ!!」と罵声を浴びせますか?
冷静にパソコンの電源を切ってみたりフリーズ状態が自然に解消されるのをしばらく待ってみますか?
専門家に問い合わせてみますか?
いろんな対処法が十人十色ありますが、
対処の仕方ひとつで、流れというものは随分変わるものです。
今回はパソコンをたとえにしてみました。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。
最近思っていること
なんだかモヤモヤする。
原因が分かりながらモヤつく時。
原因が分からずモヤつく時。
どちらもあるものです。
最近お越しくださる方で
「早めに相談しておけばよかった。でも相談する気力すら出なかったんです」
とおっしゃられることが多いです。
このお気持ちよく分かります。
「ストレスが溜まる」を通り越し、「ストレスフル」の状態になるともはや何もしたくないという状況に陥ります。
現代社会はお家に帰っても、気持ちが休まらないことが多いです。
お家でも人間関係が存在する。
たとえ一人暮らしをしていても、お家でソーシャルネットワークやメール、電話などのやりとりが続く。
脳からすれば、理論的には「家にいる」と認識していても感覚的には「人間関係がそこにある」と捉えてしまい、本当の意味で気が休まりません。
挙げ句の果てには、インターネットやテレビなどから絶え間なく影響力を良くも悪くも受け取りますので、感受性が強い方であればその日のうちに自分の軸が揺らぐことも多いです。
他人との比較に苛まれることが増えてませんか?
僕は今日までサロンを開業しての8年間、心理カウンセリング、スピリチュアルカウンセリング、整体、エネルギーヒーリングと経験させてもらっていますが、もはやどの手法が最高であるということが断言できません。
何かに偏ることでなく、すべては「バランス」であり「臨機応変」がこれからの時代のカギになることでしょう。
近年ではカウンセラー、セラピスト、医療従事者、経営者の方々がお越しくださることが圧倒的に増えました。
「せっかく資格をとったのに、自分はなぜこんなにも疲れてしまうのか」
「癒しを提供する身でありながら自分自身がカウンセリングを受けるなんて恥ずかしい話です」
「人の前では元気でなくても笑顔でいなければならない。私はカウンセラーだからという概念に疲れた」
「私は経営者をしている立場。皆から強いと思われているので弱音を吐き出すことはできない」
ということをご相談されることが多いですが、恥ずるべきことでも何でもありません。
どんな仕事であれ、肩書きが何であれ、誰にも共通していることがあります。
私たちは人間であること。
常に元気でいれるはずがない。
強いときもあれば弱くなるときもある。
自信に満ち溢れるときもあればどうしようもなく自信が無くなるときもある。
幸せを感じるときもあれば不幸を感じるときもある。
このように日々波打つことは、人が生きている「証」というもの。
ここ数年、僕自身も大きく心が揺れました。
心理学や精神に関わるスピリチュアル、整体、エネルギーヒーリングと、どれが一番自分にとってベストを発揮できるのだろうと。
今年に入りようやく一つの答えが出たのが、偏らないことが大事ということ。
今までのことは活かせばいい。
でも、過去の経験や知識に縛られるのでは本末転倒。
僕もカウンセラーという言葉に縛られたことがあります。
「カウンセラーであれば自分の心を把握し、コントロールできねばならない」と考えていたことがありました。
そんなことは結果的に無理でした。
無理と分かるとどうなるか。
「自分の心を把握できないことだってある」と分かるわけですから良い意味で諦めがつくのです。
諦めがつくとそれに関して対処しなければならないという悩みが劇的に軽減します。
そうすると自然と
「明日からまた頑張ってみるか」という気持ちになります。
諦めて、また頑張り、つまずけば諦め、そしてまた頑張る。
これの繰り返しで自分の進むたい道を少しずつ歩いていけばいいと思います。
僕のところにお越しのときは諦めの気持ちでお越しの方が大半です。
「まだ自分でやれる」という時にはお越しにならんものです。
この良い意味での「諦め」、そして「本音で弱音を吐き出せたとき」が、また運気を取り戻し前向きに進むきっかけになるということを、教えてくれたのはお越しくださる方々のお姿でした。
悩むことは悪くない。
弱くなること、自信をなくすことは悪いことではないのです。
その気持ちを素直に認めることから始まるのではないでしょうか。
肩書き、立場、これらは自信になる反面、思わぬ重圧となり苦しむ縛りになることもあるということです。
僕もカウンセラーとして現在活動していますが、あくまで「我」を忘れてはならないと思います。
最近感じたことをツラツラーッと書き綴ったので起承転結があいまいでごめんなさい。
でも感じたことをやっと文章に出来ました。
お見苦しい文章もあると思いますが、今日も最後までお読みくださいましてありがとうございました。