貴方らしく生きるのをサポートします!人生のグレードアップを☆☆☆

今、貴方が抱えている人生の悩みには、貴方らしく生きるための重要なヒントや答えが隠されています。

何を考えているかが分からないと感じる時

「何を悩んでいるのかが分からない」

 
「何をしていても楽しめない」
 
こういった気持ちになるとき、不安になります。
早く打破しなければと焦る気持ちにもなります。
 
ストレスがパンパンに溜まった状態になると、ストレスフルから脳も身体も心もフリーズ(固まる)状態になるのです。
 
フリーズ状態になる。焦る。不安になる。
だから悪いのではないのです。
 
人間であればいっぱいいっぱいの状態になれば誰しもそのようになります。
 
パソコンでフリーズ状態を経験したことありませんか?
そのような時、どうやって対処していますか?
 
パソコンを叩きますか?
 
「役立たずのパソコンめ!!」と罵声を浴びせますか?
 
冷静にパソコンの電源を切ってみたりフリーズ状態が自然に解消されるのをしばらく待ってみますか?
 
専門家に問い合わせてみますか?
 
 
いろんな対処法が十人十色ありますが、
対処の仕方ひとつで、流れというものは随分変わるものです。
 
今回はパソコンをたとえにしてみました。
 
 
最後までお読みくださいましてありがとうございました。
 

最近思っていること

なんだかモヤモヤする。

 
原因が分かりながらモヤつく時。
 
原因が分からずモヤつく時。
 
どちらもあるものです。
 
最近お越しくださる方で
「早めに相談しておけばよかった。でも相談する気力すら出なかったんです」
とおっしゃられることが多いです。
 
このお気持ちよく分かります。
 
「ストレスが溜まる」を通り越し、「ストレスフル」の状態になるともはや何もしたくないという状況に陥ります。
 
現代社会はお家に帰っても、気持ちが休まらないことが多いです。
 
お家でも人間関係が存在する。
 
たとえ一人暮らしをしていても、お家でソーシャルネットワークやメール、電話などのやりとりが続く。
 
脳からすれば、理論的には「家にいる」と認識していても感覚的には「人間関係がそこにある」と捉えてしまい、本当の意味で気が休まりません。
 
挙げ句の果てには、インターネットやテレビなどから絶え間なく影響力を良くも悪くも受け取りますので、感受性が強い方であればその日のうちに自分の軸が揺らぐことも多いです。
 
他人との比較に苛まれることが増えてませんか?
 
僕は今日までサロンを開業しての8年間、心理カウンセリング、スピリチュアルカウンセリング、整体、エネルギーヒーリングと経験させてもらっていますが、もはやどの手法が最高であるということが断言できません。
 
何かに偏ることでなく、すべては「バランス」であり「臨機応変」がこれからの時代のカギになることでしょう。
 
近年ではカウンセラー、セラピスト、医療従事者、経営者の方々がお越しくださることが圧倒的に増えました。
 
「せっかく資格をとったのに、自分はなぜこんなにも疲れてしまうのか」
「癒しを提供する身でありながら自分自身がカウンセリングを受けるなんて恥ずかしい話です」
「人の前では元気でなくても笑顔でいなければならない。私はカウンセラーだからという概念に疲れた」
「私は経営者をしている立場。皆から強いと思われているので弱音を吐き出すことはできない」
 
ということをご相談されることが多いですが、恥ずるべきことでも何でもありません。
 
どんな仕事であれ、肩書きが何であれ、誰にも共通していることがあります。
 
私たちは人間であること。
 
常に元気でいれるはずがない。
 
強いときもあれば弱くなるときもある。
 
自信に満ち溢れるときもあればどうしようもなく自信が無くなるときもある。
 
幸せを感じるときもあれば不幸を感じるときもある。
 
このように日々波打つことは、人が生きている「証」というもの。
 
ここ数年、僕自身も大きく心が揺れました。
 
心理学や精神に関わるスピリチュアル、整体、エネルギーヒーリングと、どれが一番自分にとってベストを発揮できるのだろうと。
 
今年に入りようやく一つの答えが出たのが、偏らないことが大事ということ。
 
今までのことは活かせばいい。
 
でも、過去の経験や知識に縛られるのでは本末転倒。
 
僕もカウンセラーという言葉に縛られたことがあります。
 
「カウンセラーであれば自分の心を把握し、コントロールできねばならない」と考えていたことがありました。
 
そんなことは結果的に無理でした。
 
無理と分かるとどうなるか。
 
「自分の心を把握できないことだってある」と分かるわけですから良い意味で諦めがつくのです。
 
諦めがつくとそれに関して対処しなければならないという悩みが劇的に軽減します。
 
そうすると自然と
「明日からまた頑張ってみるか」という気持ちになります。
 
諦めて、また頑張り、つまずけば諦め、そしてまた頑張る。
 
これの繰り返しで自分の進むたい道を少しずつ歩いていけばいいと思います。
 
 
僕のところにお越しのときは諦めの気持ちでお越しの方が大半です。
「まだ自分でやれる」という時にはお越しにならんものです。
 
この良い意味での「諦め」、そして「本音で弱音を吐き出せたとき」が、また運気を取り戻し前向きに進むきっかけになるということを、教えてくれたのはお越しくださる方々のお姿でした。
 
悩むことは悪くない。
 
弱くなること、自信をなくすことは悪いことではないのです。
 
その気持ちを素直に認めることから始まるのではないでしょうか。
 
肩書き、立場、これらは自信になる反面、思わぬ重圧となり苦しむ縛りになることもあるということです。
 
僕もカウンセラーとして現在活動していますが、あくまで「我」を忘れてはならないと思います。
 
 
最近感じたことをツラツラーッと書き綴ったので起承転結があいまいでごめんなさい。
 
でも感じたことをやっと文章に出来ました。
 
お見苦しい文章もあると思いますが、今日も最後までお読みくださいましてありがとうございました。
 
 
 

意味!意味!意味を知りたい!!と意味づけに翻弄されれば本当に必要なことに気づけなくなる

起こる出来事の意味づけをしたい。

 
僕はよく、不思議な流れが起きると「有難い!」の後には「だけど...なんでこのような流れになったのだろう?何の意味があって?」
と有難いで終わればいいものを、それを追及したがるクセがありました。
 
確信を持ちたかったんです。
 
「全てを知りたい分かりたい」
 
その思いで、様々な心理学やスピリチュアルと名のつくセミナーを受講しました。
 
だけど、専門用語や知るためのテクニックを知識として頭に入れれば入れる程、よく分からなくなりました。
そして不思議な流れが急激にストップするということがありました。
 
エネルギーというものは考えて分かるものではなくて感じるもの。
 
エネルギーというものは常に変化している。
 
常に変化していくものを「全て分かった」気になっていると、「本当に今、大切なこと」に気づけなかったりするものです。
 
本当に今、その意味を知る必要があるならそのように守護者の方々が導くでしょう。
 
今はまだ知らなくてもいい(むしろ知らないほうがいい)ことを不必要に教えてくる守護者なんていないのです。
 
お越しくださる方々で、
不思議な流れを現実的に体感されたときに
「すごい不思議なことが起きたんです。この意味は何なのでしょう?すごい有難いんですけど。なんでこんなことになっているのか」
とご質問を受けることはあるのですが、
 
「有難いことが起きた。という意味で良いのではないでしょうか。見えないエネルギーに全ての意味づけはできませんから。ただ有難いで良いのではないでしょうか」
 
とお答えするようにしています。
(意味づけしたくなるその方のお気持ちは重々分かるんですけどね)
 
まだまだエネルギーなんてものは摩訶不思議なもので、全て解明できるはずもないのに、全てを分かった気になってしまえば、それ以上の成長はありません。
そして良い意味での想定以上の流れに乗れなくさせているのは自分自身だということです。
 
と、タイムマシンがあるのなら僕も過去の自分にそのように伝えに行きたいですねー。
まぁ、そういったことも体験する必要があったということでしょう。
 
「有難い」とは
普通にはありえないことが起こる、ということなのですから、ただただ感謝なのですね。
 
そのありえない出来事の背景では、守護者の存在が影ながらにして必死に作ってくださった流れがあるのでしょうから。
 
 
それでは今日も最後までお読みくださいましてありがとうございました。
 
 

自分が持つエネルギーが整ってゆく中で、見える・感じる、世界観は確かに変わってゆく

誰しもがエネルギーを持っている。

 
人だけではない。
 
動物も物も、全てがエネルギーを兼ね備えている。
 
目に見えるから、見えないから
という賛否両論はどうでもいいこと。
 
気付く人は既に気づいているはず。
 
人間関係では、人が持つエネルギーを良くも悪くも与え合い受け取り合っている。
 
 
僕は思えば幼稚園の頃から、人のエネルギーに圧倒された。
 
幼稚園に入園するまでは一人で遊んでいても平気なくらい、むしろ楽しめるくらいマイペースだった。
目の前に人がいなくても自然と接しているだけで十分に楽しかった。
 
近隣にお寺があるが、そのお寺さんで夕方まで一人で遊んでいても楽しかったのは自然のエネルギー(その場の空気、草花、石などなど)戯れていることの方が自分らしかったからだ。
 
幼稚園に入園すると、そこは自然との戯れではなく、人同士での交流。
 
僕は年長の年から入園したので(僕が早めに幼稚園に入りたくなかったため)、既に形成されている人間関係に圧倒された。
 
自然にはない、人から溢れるパワー。
 
そのパワーについていけず、幼稚園では最初の頃は泣いてばかりで、他の子がいつも面倒を見てくれた。
それを通して人と接する有難さを学ぶと同時に大きな劣等感も生まれた。
 
「みんなに出来ることが自分には出来ないんだ」
 
いつもそのことで頭がいっぱいになった。
 
自信を持って堂々と過ごしている同級生をみては激しく劣等感にかられる。
 
幼稚園卒園後に小学校に入学したときには、さらにカルチャーショックを受けた。
 
あまりにも人数が多すぎる。
 
「泣きたい」
「辛い」
「学校に行きたくない」
「頭がボンヤリする」
 
誰かに相談すると
「君は敏感すぎるんよー」
「気にしない人になりなさい」
「まだ子供なんだから、楽しみなさい」
とアドバイスを受けるけど、
 
聞けば聞くほど自分がよく分からなくなってしまったのだ。
 
自分が自分じゃない。
 
というか自分て何?!
 
 
今迄の自分を変えたいと元気なフリ、強そうな自分を演じ続けたこともありました。
すると余計分からなくなってしまった。
 
 
今なら分かりますが、その頃の自分はエネルギーを感じ取っても(受け取る)(受け取る)(受け取る)のオンパレードで、エネルギーの防御、浄化、補充が全く出来ていなかったのです。
 
 
人の影響力を良くも悪くも受け取りやすかったということです。
 
それは社会人になってもずっと続きました。
 
学生の頃はとても生き辛く感じていましたから、早くおじいちゃんになってゲートボールとかやりたいな、って考えていた頃がありました。
 
せめて社会人になればきっと自由になれると、小学生の頃はいつもカレンダーの一日一日乗り越えたと印を付けながら大人になる日々を待ちわびていた頃もありました。
 
しかし、社会人になって自由の身になるも、サラリーマンとして就職してからはまたしても様々なエネルギーを直に受け取りすぎてしまい翻弄される日々が続いたわけです。(長くなりすぎるので、また追々記事に書ければと思います)
 
パワー、影響力、エネルギー、どんな表現でも同じことですが、この世には間違いなく、自分にとって合う合わないのエネルギーが存在していることは間違いありません。
 
誰もが、
「この人合わないな」
 
「気が合うな」
 
「場所の心地がいい」
 
「なんか違和感」
等感じたことがあると思います。
 
それらは全てエネルギー、影響力、パワーから自然に感じ取っているものです。
 
 
万人に完璧な正解というものはなく、一人一人感じ方は異なります。
 
本当は誰しもが自分に何が合うか合わないかというのは分かるものなのですが、日々生きてゆくうえで様々なエネルギーを浴びていき、溜まってしまうと感覚のアンテナが歪み、自分が何を感じているのかが分からなくなってしまうのです。
 
僕は、人との出会いを通じてエネルギーを改善することの大切さを知りました。
 
エネルギーを改善することを知らなかったら今の自分は間違いなく今の仕事が出来ていなかったことでしょう。
 
自分の持つエネルギーは改善してゆくと、
好き、嫌い、合う、合わないがハッキリとしてきます。
 
それだけでなく、今迄自分を当たり前のように支えてくれている守護者の存在に気づきます。
 
守護者と書くと、ミステリアスな印象を想像しますが、ご先祖様やご神仏だけでなく、生きている人の中でもあの人と自分は、お互いに支え合っている仲なのだなぁと気付くことが出来るようになり、
「人間関係って色々あるけど素晴らしいもんだ」
「やっぱり自然て素敵だ」
と感覚が戻ってきます。
 
改善しても、エネルギーをいつも整えておいたほうがいいわけですから、日々自分のエネルギー状態のチェックを行っています。
 
自分では全てチェックしきるのは無理ですから、人の力もお借りすることは当然のようにあります。
 
現実的な案件に関してはそれぞれの専門機関のお力をお借りしてますし、エネルギーに関してはお寺や神社の方々のお力をお借りしている。
 
決して一人では為せません。
 
やはり一人では生きれないのです。
一人では保てない。
 
最近出会った素敵なお寺のお坊さまがこのようなことをおっしゃっていました。
 
「自分の力で願いを叶えるのは限界があります。物事を成就させるのは、自分の最大限の努力と、生きている人の助けと、見えないご守護やご神仏の加護の3つが成り立って初めて成就される。どれが一つ欠けても願いは成就しないんです」
と。
 
まさにその通りなのだと思います。
 
自分ひとりで全てをやらなくちゃと思えば、孤独しか生まれません。
 
適材適所。
 
得手不得手は誰にでもあります。
 
見えないエネルギー守護の存在、ご神仏も得手不得手があるわけですから日本は八百万の神々と言われているのでしょうね。
 
人同士でももっと互いに相互扶助し合える世の中になっていったら素敵ですよね。
 
誰しもが自分のパワーが整い出すと、見える感じる世界観はグッと変わってくるのです。
 
 
 
それでは今日も最後までお読みくださいましてありがとうございました。
 

物に執着するのと、こだわりを持ち大事にすることの違い

数年経っても使わない物、最初は使っていたんだけど、今は誰にも見えない場所にしまっておく。

 
それがストレスになっているはずなのに、
「あとで使うから」
「いずれ使うから」
 
ポイッと置き去り。
 
物からすれば、埃まみれになりそして老朽化が進み辛い状態になっているんだけど持ち主の
「いずれ使うから」
の思いを信じ、グッと踏ん張ってくれている。
 
 
なのに、しばらく音沙汰なしでシーーン...。
 
「やっと来てくれた!出番が来たッ」
と持ち主が現れた頃には
 
「うわっ、錆びてるわぁ。これ使い物にならんわぁ、処分処分」
とポイッ。
 
それだったらもっと早めにリサイクルをしたりして次に本当に必要としている人のところで活躍してもらったり、物を苦しめず、あの世にお返しする(この世ではそれを処分といっていますが)方がよかったのだと思います。
 
僕自身、過去は上記のような人でした。
 
後で後で後で、のオンパレード。
物に執着はしているんだけど、しっかり大事に使っているのかと思えば埃まみれにして使っていないという物が多かったです。
 
かなり反省しました。
 
今は循環を大事にしています。
 
そしてこだわりを持っています。
 
本当に大事にするならとことん大事にする。
 
その気持ちが変わり、どうしても受け入れられないのであれば、必要な方のところへ行って活躍してもらえばいいとリサイクルのお力をお借りしています。
物自体のパワーに限界があるのであれば処分をします。
 
年末大掃除というのは今一度、それが出来ているかの確認の時期だったのかもしれないですね。
 
 
 
今日も最後までお読みくださいましてありがとうございました。
 

他人からのエネルギーに翻弄されていたあの頃②

2009年9月にアンフィニを開業し、その頃は雑誌やメディアのお力添えもあり、大変多くの方々とご縁を頂いた。

 
今に比べればまだまだ若い自分だったので、「元気があればなんでも出来る!」
「ちょっとくらい睡眠時間が減ったって平気」
「どれだけの人が一日にお越しになられても対応できるパワーがある」
 
と、思っていました。
 
きっとカウンセリング業に生きがいやりがいを感じていたので、疲労が重なっていてもその疲労感に気づかなかったのだと思う。
 
当時は1日で平均5〜6人のカウンセリングを行っていた。
 
クタクタにはなるんだけど、それを充実(喜び)と捉えていた。
 
整体とヒーリング(気功)も会社員時代に学んでいたので、当初は整体とヒーリングの施術も取り入れていた。
 
カウンセリング、整体、ヒーリング。
 
それらを一日ビッシリ行っていくわけである。
(今となっては考えただけで冷や汗もんです)
 
 
一日の終わりには、自分をヒーリングし、お相手の方から受け取ったエネルギーの浄化を行っていた。
だけど、数年が経過するときに
「あれっ。。なんだろう。。最近やる気が出ない。。カウンセリング、したくない」
このように思うことが急激に増えた。
 
自分をヒーリングし、浄化していてもエネルギーのケアが追いつかなくなっていたのである。
 
僕は神社やお寺に昔から足を運ぶことが好きだった(家族がありとあらゆる神社お寺に連れて行ってくれたのが大きい)ので、神社やお寺のご神仏に浄化をお願いをしながら乗り越えていた。
 
しかし、やっぱり人間には限界があるもの。
 
モチベーションもそう長く続くことはなく、自分が持っているパワーがどんどん減ってゆく。
 
たとえパワー補充をしても、カウンセリング、ヒーリング、整体と、エネルギーはすぐに飛んでゆく。
 
これはお越しくださる方々のせいでもなんでもなく、自分のエネルギーバランスうまくコントロール出来ていなかったことに他ならない。
 
「コントロール出来ない自分は、サロンを継続していく資格はない」
そう思うようになることが多く、いつお店を終おうかと考えることが増えていた。
 
 
そんな中で、人ととの出会いを通じて、大きく自分が変わっていくことになる。
 
この方も、過去に負のエネルギーに翻弄されることがあったというご経験をされていたのだが、浄化を徹底し、自分の感覚を取り戻すことを大事にされてきたという。
 
負人のご相談をお聞きするのは、お相手の負のエネルギーを浴びることは当然なので、下手すれば自分の生命エネルギーを削るようなもの。
 
負のエネルギーを浴びる仕事をしていれば浄化は追いつかなかったり、パワー補充が追いつかないことがあるのも当然だということ。
 
 
「そうか!自分は勘違いしていたんだ。」
 
「カウンセリングもヒーリングも整体も、自分の中にあるエネルギーで行っていると勘違いしていたんだ。。」
 
目から鱗が落ちました。
 
そして、自分が頑張っているときには自分を守る守護者たちも必死にパワーを使い頑張ってくれていたということ。
 
カウンセリングをする中で、相談者さまのご守護の方のお知恵を頂けなければお伝えすることが出来なかったということを改めて痛感することとなった。
 
僕だけでなく僕の守護の人たちもかなりクタクタになったいたということが分かり、とても悔やんだ。
 
それだけじゃない。
 
お越しくださる方々、そしてそのご守護の方々も本当に必死でお越しになられるんだ。
自分がエネルギーを整えていなかったらどうする!
自分だけじゃなくて周りの人にも多大なご迷惑をおかけする。
 
それからだ。エネルギーバランスを整える生活が始まった。
 
世の中には良くも悪くも様々なエネルギーが存在し、エネルギーの防御、浄化、補充が大事だということ。
 
整体、ヒーリングの活動を休止し、カウンセリング一本に絞り、一日のカウンセリング人数を2〜3人とし、空いた時間でバランスを整えることを行っていった。
 
失われたエネルギーを取り戻すのは正直、楽ではない。
浄化が起きると過去の記憶や肉体に抱えていたものが正直に表に浮上することがあるので、とても辛い時期もあった。
 
エネルギーバランスを整えるの、もう嫌だ。
と思ったこともあったのだが、エネルギーが整ってくると出会う人間関係も次から次へと変わり、バランスを整えることを後押ししてくださる方々に出会えることが必然的に増えた。
 
頑張っているのは自分だけではない。
後押しをしてくれる僕の守護の人たち。
 
いろんなところから必要な情報、人間関係を見えないところで繋いでくれている。
 
エネルギーという言葉、信じますか?
言葉は信じなくてもいいと思います。
 
誰でも「体感したことがある」はずです。
 
誰でも、人や場所、スマホやテレビから影響力を良くも悪くも受け取ることがあるでしょう。
 
影響力もエネルギーです。
 
ストレスもエネルギーです。
 
喜びもエネルギーです。
 
 
 
そして、誰にでもご守護の方々はいらっしゃいます。
あなたが信じても信じなくても、変わらず守ってくれています。
 
「直感」という言葉がありますが、直感の中にご守護の方々の重要なサインがあるわけなのです。
 
「直感が降りてきた」という言葉がありますようにまさにそのことを意味しているんです。
 
守護は僕らが目には見えないエネルギーから必死に守ってくれていますが、目に見えることから身を守れるのは僕らにしか出来ません。
 
適材適所ってやつです。
 
何をするにしても人生を生きる限りパワーが必要です。
 
だんだんと世の中を飛び交うエネルギーは良くも悪くも強くなっています。(電波が飛び交う世界になったのもひとつの要因かも)
 
やる気がなくなったり気持ちが弱くなるのは、
あなたが単に弱かったからとか、繊細すぎるから、と決めつける必要性はありません。
 
エネルギーが弱まれば誰だって弱くなるんです。
 
エネルギーが弱まれば誰だって自分を信じる気持ちを見失い、他人に代わりに自分の人生の答えを言ってもらいたくなってしまうものなんです。
 
 
僕も現在は日々エネルギーバランスを整えていますが、自分だけではバランスは整いません。
 
数々の神社やお寺、自然あふれる場所、それだけでなくて自分にとってパワーが回復できるところのお力添えがあってこそ、成立しています。
 
アンフィニでは、お越しくださる方々のエネルギーとメンタルを感じ取りお伝えすることを専門としています。
 
出来ることはしっかりと致しますし、出来ないことはそれに対応できる専門機関のご紹介も行っています。
これもエネルギーバランスの取り方のひとつです。
自分で出来ることと出来ないことをしっかり見極めること。
 
これは誰にとっても必要なことと思います。
 
エネルギーを取り戻し、人生を再び楽しめるように。
 
皆さまと共に前に進みます。
 
 
長々とお読みくださいましてありがとうございました。

他人からのエネルギーに翻弄されていたあの頃①

小さい頃から、人と接するのが億劫だった。

 
たとえ接することが出来ても距離感を感じてしまう。
 
周りの空気にも敏感。
 
生きていくのがとても辛いとばかり思っていた。
 
 
人に相談すると
「君は真面目すぎるんだよ」
 
「気にしなきゃいいんだよ」
 
「自信を持って!もっと胸を張って!」
 
「自由に生きればいいのさ」
 
そのようにアドバイスを言ってもらうことが多く、僕のことを思って言ってくれてるんだけど、聞けば聞く程、自信を失い、人を羨ましく感じるようになっていった。
 
 
自由に生きればいいってどうやって?
どうすれば自信が持てるんだ?
気にならなくなる方法を教えてほしいのに。。
 
 
僕は幼い頃から、人の空気感や場所の空気感にはとても敏感だった。
 
少しでもピリピリした空気に触れると、
「あっ、自分がいるからピリピリさせてるのかも」と自分中心に結論を出してしまう始末。
 
そりゃ「あなた考え過ぎですよ」と言われても仕方ない人生を送っていたわけです。
 
社会人になって営業マンになったが、空気を読むことを活かせばいいのに、逆にお客さんの「営業かー。早く帰ってくれー」という気持ちを先読みしてしまい、強く押す営業というのは出来なかった。
幸い、その頃は良き人脈に恵まれ、平均以上の売り上げを頂くことが出来たのだが、「自分で仕事をしてる!」というやりがいを感じることが少なかった。
 
 
気がラクになる方法が知りたい。
何も気にせず、人と接せるようになりたい。
 
と、会社勤めをしながら週一ペースでありとあらゆるセミナー(心理学、スピリチュアル、営業マナー、経営者養成)に通ったが、逆に自信を失くすことも多かった。
一緒に受講している生徒さんとの比較が自分の中で始まったからである。
 
「あぁー、あの人の方が輝いている」
そんな感じで劣等感の塊だったわけです。
 
それと同時にこんな気持ちも湧いていた。
「こんな気持ちになってる人って今まで自分だけだと思ったけど、色んな人と接してゆくうちに年齢、性別、地位権力、関係なく人は弱くなったり強くなったり悩んだり悩まなかったりするもの。強そうに見える人でも心の中では葛藤を抱えたりしていること。自分の今までの感覚を活かして相談を聞くカウンセラーになりたい」
 
この想いが強くなり、カウンセリングの勉強に熱を込めて取り組む。
 
スピリチュアルセミナーにも通っていたので、オーラやエネルギーを感じ取りご守護の方々のメッセージをお伝えするということも熱心に学んだ。
 
すると引き寄せというものだろうか。
 
仕事の営業中に、営業先のお客さんから悩みの相談を受けたときに、自然に「聴く」ということと、感じたままにお伝えするということをするようになっていた。
 
それが拡がり、色々な方から相談を受ける機会が多くなり、会社勤めをしていたのでお金を頂くことはなかったが、生きがいやりがいとして活動すりるようになった。
 
そして2009年8月に大変お世話になった会社を退職し、2009年9月アンフィニを開業することになる。
 
 
 
続く。。。